「話せばわかる」5.15
2013年 05月 15日
庭瀬駅に降りていただくと、頭上にこのような看板があります。
「話せばわかる」というのは憲政の神様と謳われた犬養毅首相の言葉と言われていますが、当時「5・15事件」といえば、「話せばわかる」「問答無用」というのが流行したとか。
子供の頃授業で習った時は、暗殺の際の命乞いの言葉だと思っていました。
今思えば大変失礼で申し訳ないことです。
ここ庭瀬はご生誕の地なのです。
地元の方々は「木堂(ぼくどう)先生」と親しまれていて、お祭りも開催されます。
ゆくりからは、歩いても10分も掛かりません。
今日は家で事務仕事などしていたのですが、5月15日だと思い出し、外出した折に「犬養木堂記念館」に立ち寄ってみることにしました。
木堂先生が凶弾に倒れたこの日は毎年ご生家が開放され、箏の演奏やお茶席、講演などが催されます。
(エッセイストの安藤和津さんはお孫さん、長く国連におられた緒方貞子さんは曾孫に当たられるそうで、何年か前には緒方貞子さんが講演にお見えになっていました)
ゆくりから川沿いを真っ直ぐ進むと、立派な門構えの「犬養木堂記念館」が左手に見えます。
(写真は反対側から撮りました)
中のお庭も、いつも手入れされていて美しいものです。
橋を挟んで反対側にご生家。
実は、私は生まれも育ちも岡山の生粋の岡山人でいながら、ここに来るまで木堂先生のことをよく知りませんでした。
歴史の授業で習った「5.15事件で暗殺された首相」と認識があっただけだったのですが、庭瀬のお生まれだったことも知らずにここに越して来たのです。
展示されている袴や足袋を拝見すると小柄な方のようでしたが、気骨のある方だったことは写真を見ても伝わってきます。
戦争へと向かう時代の波の中、「国民の自由」「言論の自由」という持説を曲げなかったために内閣設立後1年で凶弾に倒れることになりましたが…
青年将校から銃を向けられても
「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう、ついて来い」
と言い、3発の凶弾を浴びたあとも倒れることなく、指から煙草も落とさず座ったままで
「今の若造を連れ戻せ、話して聞かせることがある」
と最後まで強い姿勢を崩さなかったといいます。
件の「話せばわかる」は命乞いの言葉ではなく、その言葉のまま「言論の力」と「暴力に寄らない理性的な社会」を死ぬ間際まで信じ貫いた生涯を表すものだったと初めて知った時は、心が震えてしばらく資料館から出られなかったことを思い出します。
もし、ご興味ありましたら是非一度足をお運びになってみてください。
犬養木堂記念館HP
開館時間
9時から17時まで
(入館は16時30分まで)
休館日 毎週火曜日(祝日は除く)
祝日の翌日(土日は除く)
年末年始(12/28~1/4)
入館料 無 料
問い合わせ
〒701-0161 岡山市北区川入102-1
TEL 086-292-1820
FAX 086-292-1825
この記事を書くのに、系譜を拝見したら「後藤象二郎」や「岩崎弥太郎」の名前も出てきてびっくりしました。
いろんな方が繋がっているのですね。
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いつもありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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